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日本トランスパーソナル心理学/精神医学会
第6回学術大会プログラム 


Japanese Association for Transpersonal Psychology/ Psychiatry 6th Annual Meeting
場所: 花園大学 教堂/ 禅堂
日時: 2004 年11月5日(金)~7日(日)
禅と現代心理学の新潮流
ZEN/ Psychology East/ West Buddhism/ Psychotherapy
第6回学術大会会長: 林信明(花園大学社会福祉学部長・国際禅学研究機構禅的研究所長)
第6回学術大会 スケジュール概要
□11月5日(金):プレカンファレンス・ワークショップ(会場:教堂および禅堂)
 10:00~受付
「一日摂心」(集中坐禅と講義)  指導:宝積玄承老師(花園大学宗教部顧問・京都国際禅堂師家)
 
□11月6日(土):学術大会1日目(会場:教堂)
8:30~受付    9:20~ 大会会長・開会挨拶
9:30~ 研究発表(午前Ⅰ) 座長: 松本孚(相模女子大学)
9:30  吉野淳一(札幌医科大学):2人のシャーマンと2人の特異能力者の語りの分析
10:00 井端美奈子(大坂府立看護大学):プラトニックラブという選択―デート・バイオレンス予防教育への可能性を探る
10:30 浦崎雅代(東京工業大学):ヴィパッサナー瞑想実践と再帰性の近代社会
11:00~11:15 小休憩
11:15 研究発表(午前Ⅱ) 座長: 中川吉晴(立命館大学)
11:15 堀江宗正(聖心女子大学):宗教概念とスピリチュアリティ概念の批判的考察
11:45 中村雅彦(愛媛大学):大学生と有職者のスピリチュアリティ意識の時代的変化
12:15~13:15 昼休憩 (12:20 理事会:教堂2階同窓会会議室)
13:15 研究発表(午後Ⅰ) 座長: 合田秀行(日本大学)
13:15 鄭貴霞(種智院大学):宗教研究の方法と瞑想法
13:45 林貴啓(京都大学):建設的ポストモダニズム―日本への導入と日本での発展のための一考察
14:15~14:30 小休憩
14:30~ 特別シンポジウム「禅と現代心理学の対話」 司会:安藤治(花園大学)
・ジェフ・ショーワ先生(花園大学教授)
・春木豊先生(早稲田大学名誉教授)
・西村惠信先生(花園大学学長)
17:00 終了
17:30~ 懇親会(会場:無聖館地下食堂)
 
□11月7日(日):学術大会2日目(会場:教堂)
9:00~受付
9:30~ 研究発表(午前Ⅲ) 座長: 中村雅彦(愛媛大学)
9:30  米田量(京都大学):四国遍路空間を歩くこと―歩き遍路者の変化から
10:00 半田栄一(嘉悦大学):モラルの回復と霊性の教育
10:30 松竹寛幸(花園大学国際禅学研究所):専門道場における禅修行が行動特性に与える影響について
11:00~11:15 小休憩
11:15 研究発表(午前Ⅳ) 座長: 石川勇一(相模女子大学)
11:15 塚崎直樹(つかさき医院):公案から見た禅と心理療法
11:45 伊藤義徳(早稲田大学):座禅のトレーニングが抑うつとメタ認知的知覚に及ぼす影響
12:15 芝原祥三(阿久根市民病院):瞑想法における実証主義的アプローチの再検討
12:45~14:00 昼休憩 (12:45~ 会員総会)
14:00~ シンポジウム「社会とつながるZEN・瞑想」
・安藤治先生(花園大学教授)
・ポール・レジー先生(カリフォルニア統合学研究所博士・心理療法家)
・安永祖堂先生(花園大学教授)
4:30 閉会の辞(予定)
参加者へのご案内                             
□受付
5日は午前10時より受付(ワークショップ参加者)。受付場所:教堂入口前
6日は午前8:30・7日は午前9時より受付を開始致します。受付場所:教堂入口前
□大会参加費(ワークショップ含む・3日通し)
学術・一般会員
非会員
学生
予約(1次締切:
9月末日まで)
5,000円
6,000円
3,000円
  
予約(2次締切:大会前日まで)
6,000円
7,000円
3,500円
 
当日
7,000円
8,000円
5,000円
□宿泊について:会期中、京都は観光シーズンに入ります。各自で早めに確保ください。
□ワークショップ参加者へのご案内(11月5日)
受付の午前10時までに会場の教堂入口前までご来場ください。その後は係りの指示に従っていただけますようお願い申し上げます。
□発表者へのご案内
・研究発表の時間は、質問時間を含めての30分となります。持ち時間の厳守をお願い致します。
・会場では、スライド・OHP・コンピュータ利用のプロジェクターが使用可能です。
・コンピュータをご使用になる方は、ノートPCを各自ご持参下さい。
(ご発表前の空き時間(午前9時・11:15休憩時間・昼休み)に必ずご試用・ご確認ください)。
学術大会第1日目プログラム                            
研究発表
9:30 2人のシャーマンと2人の特異能力者の語りの分析 ――その自死と癒しに関する見解に焦点を当てて:吉野淳一(札幌医科大学保健医療学部看護学科)
シャーマンは、通常とは異なる特殊な意識状態(トランス状態)となって、脱魂・憑依などの方法で神霊と直接交流し、呪術・卜占・治療などを行う宗教的・ 呪術的職能者である。シャーマンと呼ばれる者たちは、一定の手続きにのっとりながら死者の言葉を我々に伝えてきた。発表者は、2003年本学会第5回大会 において二人のシャーマン(霊能力者)の死者との対話作業に関する認識について報告した。今回は2人のシャーマンに加えて、霊的な身体治療(ヒーリング) を専らにする者と予言及び相談に従事している者2人の特異能力者の語りを合わせ、その自死と癒しに関する見解に焦点をあてた分析を試みる。  発表者は、1993年に自死遺族の心情の聞き取りをはじめ、1996年には自死遺族の会を立ち上げ今日に至っている。自死遺族の苦悩の深さは想像に難く ないが、この先何が遺族を癒していくのであろうか。発表者は、死は必ずしも我々人間のコミュニケーションを絶つものではない-といった視点から自死遺族の 癒しの可能性を模索している。歴史的に長く死者の言葉を語り伝えてきたシャーマンと、霊的な癒しの業に精通している者、そして宇宙との交信などを通して予 言を行う者4者の語りから、自死という現象を幅広い視点から捉えなおし、そして残された者の癒しの可能性について考察することが本研究の狙いである。
10:00 プラトニックラブという選択――デート・バイオレンス予防教育への可能性を探る:井端美奈子(大坂府立看護大学)
 
調査によると、日本の高校3年生の50%以上が性交を経験している。セックスのネガティブな結果として、1つ目に予期しない妊娠があり、十代の人工妊娠中絶件数は増加の一途をたどっている。2つ目には性感染症罹患があるが、性感染症も非常な勢いで増加している。
 街中ではティッシュペーパーとともにピンクチラシがばらまかれ、コンビニのウインドウには女性のバストばかりを強調した雑誌が並び、インターネットでは過激なAVビデオや合法ドラッグ、セックス関連グッズが易々と手に入る。女子中高生をターゲットにしたコミックの内容は、成人向けのものよりも露骨なセックスやレイプシーンの描写で目を覆うばかりである。
 筆者は数年前から公立高校生を対象にした学校基盤の性教育を実践している。学校での性教育の方向性として、コンドームの配布や装着法など避妊や性感染症予防に力を入れ始めている。コンドーム教育は、予期しない妊娠や性感染症罹患を予防するための現実的な対応として必要なことである。一方、高校生にもはや禁欲を説いても無理だから、予防としてのコンドーム教育をするしかない、という態度が見え隠れする。
 セックスのネガティブな結果の3つ目として、デートバイオレンスがあげられる。デートバイオレンスとは、結婚していない若い男女間の暴力のことである。デートバイオレンスの結果、予期しない妊娠や性感染症罹患にいたることも多い。当事者が意識しない問題として、心身の健康障害が加害者にも被害者にも起こることが報告されている。
以上のようなセックスのもたらすネガティブな結果を避けるために、プラトニックラブという選択の可能性を探ってみたい。戦争とポルノの20世紀から、平和でスピリチュアルな男女の関係性への移行が21世紀に求められているのではないだろうか?
10:30 ヴィパッサナー瞑想実践と再帰性の近代社会――タイ・森の寺瞑想経験者へのインタビューから:浦崎雅代(東京工業大学大学院・社会理工学研究科・価値システム専攻)
昨今、瞑想が注目されてきている。一般的な瞑想のイメージは、僧侶などの出家者の厳しい修行か、ストレス社会に生きる現代人のリラクゼーションや心の癒 しをもたらす方法として認識されているかのどちらかであるといっていいだろう。しかし、瞑想の歴史は古く、様々な伝統的・宗教的・文化的背景を持ちながら 実践されている自己統治の技法である。
本発表では、現代において瞑想実践が再度注目されてきている現象を通して、近代社会における瞑想実践の意義について「再帰性 (Reflexibity)」の議論を切り口に考察する。再帰性は、モダニティの問題を社会学的視点で捉えたイギリスの社会学者アンソニー・ギデンズが、 現代社会の特徴として指摘した用語である。彼は、現代社会には自分自身のあり方を常に観察・点検して変化させていく働き(再帰性)があり、そのような性質 がすべての制度の基礎に組み込まれている、と洞察した。
発表者は、再帰性という特質が、自己洞察の技法として古くから行われてきた瞑想の特徴をも示すものであることに着目した。中でも上座部仏教で広く行われ ているウィパッサナー瞑想は、ブッダが弟子たちに伝授した修行法として言い伝えられており、その要諦は自分自身のあり方を常に「ありのままに観る」ことと されている。それはギデンズが指摘した自分自身のあり方を常に観察していく現代社会の様相と一致する。
事例として取り上げたのは、タイの森の寺においてウィパッサナー瞑想実践を行った青年たちである。彼らは日本という近代社会に生きる人々でありながら、 前近代を思わせる森の寺という原初的な場を求めて瞑想実践を行った若者たちである。彼らが瞑想の中で直面するのは、自己と世界との違和感である。しかし、 その中で瞑想実践を深めていくことで逆に自己を見つめる技法としての安定した再帰性が再度体得されていくようになる。現代社会における再帰性とはまさに自 己の内面における再帰性を必要とするものなのである。
11:00~11:15 休憩
11:15 宗教概念とスピリチュアリティ概念の批判的考察:堀江宗正(聖心女子大学・歴史社会学科)
 
近年、宗教学ならびに文化人類学において、宗教概念に関する批判的議論が盛んにおこなわれている。本発表では、この種の議論が、スピリチュアリティ概念(ここでは心理学者の)にとってどのような意味を持つのかを考察する。宗教概念のはらむ問題点とは、本質主義、近代的性格、西洋的特殊性である。すなわち、近代西洋におけるキリスト教をモデルとする「宗教」が、非西洋社会にも発見され、実体化されるということである。その際の「宗教」とは、その社会や文化に特徴的な信条や象徴の体系としてとらえられる。
 次に、心理学者の宗教概念について見てゆく。ここで取り上げるのは、何らかの形で宗教を対象化し、宗教とは別の何かを提唱し、今日のスピリチュアリティ概念を用意した心理学者である。具体的には、フロイトの宗教批判とロゴスとエロス、ユングのプロテスタント主義批判と体験主義的・象徴主義的宗教理解、フロムにおける権威主義的宗教批判、マズローにおける超自然的教義批判とスピリチュアル・ヴァリュー、ウィルバーにおける垂直的で変容的なスピリチュアリティなどである。
 これらの議論は、近代西洋型の宗教、すなわち命題中心で信者の同一性を固定的に決定する宗教を批判すると同時に、それを乗り越える内的かつトランスパーソナルな契機への気づきを促そうとするものである。
 これらの議論が、宗教概念批判論に寄与するところは大きい。しかしながら、そこには依然として本質主義特有の限界がつきまとっている。個人主義と普遍主義を採用したスピリチュアリティ概念は、どのような伝統にもコミットせず、狂信的な「テロリズム」を敵視し、グローバル化する後期近代の消費主義に依存する個人を作り出す本質主義的な言説である。それに対して、発表者は、非本質主義的なスピリチュアリティの例として、仏教とポストモダニズムにインスパイアされたスピリチュアリティを提唱する。
11:45 大学生と有職者のスピリチュアリティ意識の時代的変化――1995年調査と2003年調査の意識の差異:中村雅彦(愛媛大学・教育学部)
本研究では、改訂版スピリチュアリティ傾向尺度(RSTS)を総計1362名の対象者(男性318名;女性1044名)に実施し、対象者のスピリチュア リティ構成概念の構造を明らかにするとともに、1995年調査と2003年調査における対象者のスピリチュアリティ意識の時代的変化について検討を加えることを目的とする。サンプルの比較を容易にするために、大学生サンプルと有職者サンプルを最終的な分析の対象にした。最尤法・プロマックス回転による因子分析の結果、スピリチュアリティ構成概念は、「生の意味と目的」、「超越的次元の自覚」、「無償の愛」、「自然との一体感」、「生の永続性」の5因子が抽出された。特に、興味を惹かれたのは、大学生サンプルにおいて「超越的次元の自覚」の因子得点が2003年調査において高くなっていることであった。また 有職者サンプルにおいて、性別と実施年を独立変数におき、年齢を共変量とする共分散分析を行った結果、すべてのスピリチュアリティ因子得点が、1995年調査より2003年調査の方が低くなっている知見であった。サンプルの等質性に関する知見の限界は指摘できるだろうが、「時代のキーワード」としてのスピ リチュアリティは、若年層において覚醒しつつある宗教文化現象なのかもしれない。
12:15~13:15 昼休憩
13:15 宗教研究の方法と瞑想法:鄭貴霞(種智院大学大学院)
1)宗教研究の目的は、人が生まれてから死に至るまで、如何に生きるかを問うことであり、誰でも努力して有為で平和に暮らす望みがあるはずである。 2)私達はなにかの因縁でこの世に生まれてくる。そして善悪の相依による縁が重なって、別の形態に進化して死んでいくのが人生である。これを仏教では、世間の形成は「縁起・無自性・空」であることを示し、人生の達観について、諸仏は「二諦により法を説く」と説明する。 3)本研究の方法は、個人宗教と「瞑想法」と「身口意」の三密加持によって、自己の心身の気順を調整して「寂静」を図り、人生の道程において上昇することに重点を置く、そして人と接触時間の長い住宅・仕事場の良い気の環境が人間性増進の根本になることを仏教・密教の観念に沿って論述する。 4)本論は欧米で三十余年來定着した「気学の科学的」理論に沿って、自分で身体と環境の気を調整して和を保ち、運命開拓の一段を提唱するのである。 5)今回の瞑想発表は、私がアメリカで習った瞑想法であり、人身の気を寂静にする方法である。特に心理学と精神医学については、私の受けた教育が、医学と関連があり、生きることについての探求には役に立ったことである。 6)環境の気の調整に関しては、日本では未だ専門的・学術的に分析されていないことで、一言でいえば、居心地のよい運命を変える環境を作ることである。これからこの方面に関して、多く皆様のお役に立つように努力をして行きたいと考えておる。
13:45 建設的ポストモダニズム―日本への導入と日本での発展のための一考察:林貴啓(京都大学大学院・人間環境学研究科)
 
「建設的ポストモダニズム(constructive postmodernism)」は、通例「ポストモダニズム」と呼称されるポスト構造主義・「脱構築」とは異なる、価値と世界観、スピリチュアリティの「再構築」をめざす思潮である。A. N. ホワイトヘッドの「有機体の哲学」「プロセス哲学」を主な源流として唱えられてきたこの思潮は、さらに広範な哲学思想をその圏域に加えて近年発展しつつある。わが国でのスピリチュアリティの再建のうえでも、多大に寄与するものを含んでいるに違いない。本発表では、この建設的ポストモダニズムの日本への導入と、この日本での独自の発展を目指して考察を展開する。まずは、この「ポストモダニズム」が日本、あるいは東洋の思想伝統との内在的な親近性をもっていることを確証する。従来の建設的ポストモダニズムの論議のうちで、実際に日本ひいては東洋の思想が、どのように論じられてきたのかを検証する。この思潮の最近の動きを踏まえて、「プレモダニズム」「モダニズム」「ポストモダニズム」を地域・時代文脈を超えた思想の理念型としてとらえ、「建設的ポストモダニズム」の基本姿勢を日本で展開させる道を探る。そして、すでに日本でも展開されている、「再構築」の志向を含んだ「ポストモダン」思想の動きの数々を考察し、これを建設的ポストモダニズムの受容基盤とすることを目指すと同時に、逆に元来の建設的ポストモダニズムに対して、新たに貢献できる何かを探り出す。こうしてこの「ポストモダニズム」の日本でのさらなる発展の素地をつくり、わが国のスピリチュアルな課題に寄与したい、というのが発表者の目的である。
午後2:30~5:00 特別シンポジウム「禅と現代心理学の対話」
西村惠信先生(花園大学学長)・春木豊先生(早稲田大学名誉教授)・ジェフ・ショーワ先生(花園大学教授)
□ジェフ・ショア先生・講演抄録
 欧米の心理学者がどうして禅に深い興味を持つのでしょうか。一体禅がトランスパーソナル心理学にどのように役立つ事が出来るのでしょうか。仏教の教え「無我」はトランスパーソナル心理学と本当に一致することが出来るのでしょうか。具体的な例や私たちの今の経験に基づきながら、二つの類似点を見つけ、さらに深く掘り下げていきたいと思っている。
ジェフ・ショア先生プロフィール 1953年アメリカ・フィラデルフィアに生まれる。現在、花園大学文学部教授。宗教・哲学を専攻したが心理学にも深い関心を持つ。30年余りにわたり、禅の修行・研究を行いながら、現代社会に禅をいかに正確に伝えられるか、どう生かすかを自己の課題として取り組んでいる。1981年来日、僧堂に入り、1987年から花園大学で教える。欧米を中心に講演やリトリートを行っている。参加者のバックグラウンドは多彩であり、心理学者の参加も少なくない。
□春木豊先生・講演抄録
禅と心理療法が最近われわれから見て信じられないほど急速に接近しているといえそうである。その象徴的な出来事は、2005年の国際認知療法学会においてダライラマが招待され、認知療法の泰斗であるベックとダライラマとの対話が実現することである。このような情勢の中にあって、日本の心理療法家が黙ってみているというわけにはゆかないであろう。
今まででも禅と精神分析との関係については論じられてきた。しかし最近の動きは技法的な側面についての関心が高まってきたということであろう。そこでわれわれが今なすべきことは、禅をはじめとして仏教の理論が心理療法の理論と類似している点を指摘することではなくて、禅が内包しているものの中に何か心理療法にないものを付け加えるものがないかを探求することではないであろうか。禅はいわゆる宗教ではない。したがって心理療法に何かを付加できる可能性を秘めている。
このシンポジウムではその可能性のいくつかを示してみたいとおもうが、たとえば西洋の心理療法にないものとしては、身体的プラクティスを含むこと、したがって坐禅の呼吸や姿勢などが心理的効果だけではなく、生理的効果を持つこと、すなわち人間に対してホリスティックな効果を持つこと、また坐禅や公案によって観念的な認知の空回りを停止させ(たとえば自動思考の停止)、それにとらわれない態度の形成であること、セルフコントロールを含むフラストレーション耐性の訓練であること、などいろいろな側面があるが、なによりも禅の実践は治療であるよりは心身の修練(教育)であって、このことは心の障害を予防することの方法でもあるといえるのではないであろうか。
重要なことは、どちらが優れているとかということではなく、可能ならば両者を統合して、心理療法の可能性を拡大することである。あるいは心理療法は文化に制約されるところがあるならば、日本人にとって禅と心理療法の関係を自覚することが必要であろう。
春木豊先生プロフィール 早稲田大学名誉教授、文学博士(早稲田大学)
Universidad de Flores Honorary Professor
元人体科学会会長、元日本心理学会常務理事、元日本健康心理学会常任理事,
The World Academy of Art and Science Fellow
Transcultural Society for Clinical Meditation Honorary Board, The Society for Constructivism in the Human Sciences Hornored Contributor
□西村惠信先生・講演抄録
<禅というものは存在しないということ>
禅宗は仏教の一派として諸宗教に共通する要素を多く引きづっているが、仏陀の教説や祖師の論注の上に信仰を立てる「教宗」とは一線を画する。禅宗では自らのことを特に「仏心宗」と呼び、個人が「仏陀の心」(仏の慧命)を自己の身体において体得することを本命とする無神論的人間的な宗教である。したがって「禅一般」などというものはどこにも存在しない。逆に禅の内容は徹底的に個別的であるゆえに、禅はこれを実践した人の数だけ在ると言うべきであろう。
<禅心を伝えることは出来ないということ>
 禅宗では坐禅修行を通して、各自が自己の身上に仏陀の「大覺」を追体験しなければならない。この体験は徹底的に個体内の出来事であって、禅の師といえども禅心を弟子へ直接伝達することは出来ない。よって師は求めてくる弟子を突き放し、絶望の中に弟子を自己へと向き返させることだけが使命である。大灯国師が「仏祖不伝の妙道をもって胸間に掛在せよ」と言うゆえんである。弟子が自己において全身的に禅心を実現するとき、釈迦もダルマも今に現前するのであり、彼らと世代を隔てるほどいっそう親しい関係をもって対面すると説く。これが禅心の伝達はこうして達成される。
<禅心はいかにしてどこに見出されるかということ>
 では自己において実現される「仏心」はいかなる方法によって、どこに見出されるであろうか。この実践を禅宗では「己事究明」と言う。その一つの捷径が「坐禅」であると言えよう。
 そもそも禅宗の伝える「心」は、身体と区別されて個人に内在するものではない。そもそも心とは何か。そういうものが在るのか。あるとすれば何処にあるのか。禅宗の初祖ダルマは「心不可得」を説き、唐の臨済禅師は「心法無形にして、十方に通貫す」と言い、わが栄西禅師は「大いなるかな心や。天の高きは極むべからず。而るに心はその上に出ず、・・・」という。では、そういう心にわれわれはいかにして接することができるのであろうか。そういうことなどについて話したい。
西村惠信先生プロフィール 1933(昭和8)年、滋賀県に生まれる。花園大学学長。同国際禅学研究機構長。文学博士。専攻は禅思想。著書に『己事究明の思想と方法』(法蔵館)、『迷いの風光』(法蔵館)、『鈴木大拙の原風景』(大蔵出版)、『無門関』(岩波書店)、『夢中問答』(NHK出版)ほか多数がある。
学術大会第2日目プログラム                            
研究発表
9:30 四国遍路空間を歩くこと――歩き遍路者の変化から:米田量(京都大学大学院教育学研究科)
 
四国遍路とは、四国に散在する弘法大師空海ゆかりの八十八ヶ所を巡る巡礼である。札所と札所をつなぐ遍路道の全長は1200キロメートルに及ぶ。その四国遍路において、近年遍路者の増加している。またモータリゼーションが進んでいる現代において、そこに特徴的に見られるのがバスや車を利用しない歩き(徒歩)遍路指向の増加である。なぜ彼(女)らは時間を必要とする徒歩遍路をあえて選ぶのだろうか。
歩き遍路者の語りを聞くなかで、歩き遍路者はそれぞれの転機をむかえていたり、自身の成長や変化を求めている傾向があった。そして四国遍路空間には宗教的信仰にかかわらず、多様な遍路者を受け入れる許容性があり、そして彼らの変化を促しやすいような性質があることがうかがわれた。
四国では遍路者を援助する慣習が未だに存続しており、遍路者は旅のなかで様々な援助を受ける。また歴史のなかで、四国遍路は特定の主体や教条に統一されてしまうことがなかったため、遍路者であるための資格やルールが実際上ほとんど存在しない。そのため宗派や信仰などに全く興味がない人々でも、四国遍路空間の特性を享受しながら自由に旅をすることができるという特徴がある。そして四国遍路は、そこを旅する者が変化を促されるような状態におかれる性質を色濃くもっている。たとえば遍路者は、日常での肩書きや役割を失い、社会的序列から解放されるとともに、それらから受けていた守りも失う。また遍路者は一方で敬われながら、かつ乞食や得体の知れない者として忌避される潜在性という二面性をもち、そのなかで揺れ動く。また食事、宿泊、排泄などの基本的な生理的必要性も融通がききにくいような未知の土地の旅を長期間にわたって旅をしていくため、歩き遍路者は日常とは違った旅の現実に対する感覚を研ぎ澄ませていく。
 歩き遍路者は四国遍路空間を旅するなかで、それぞれにおいて必要でないものが捨て去られたり、または新しい価値観や世界観を発展させていく多様な契機を提供されながら、変化していくと考えられる。
10:00 モラルの回復と霊性の教育:半田栄一(嘉悦大学)
 
現代の日本社会におけるモラルの崩壊とそれに伴う様々な社会的矛盾は著しくなる一方である。最近、文部科学省も道徳教育の必要性と共に、特定の宗教や宗派の立場からではなく、宗教や宗教的な情操について教える必要性をいうようになった。このことは非常に大事なことであるが、なによりも今、問われなければならないことは、モラルであっても、宗教であっても、それらが依って立つところである根拠とは何か?ということである。
 教条的に道徳を教えたり、教義によって宗教を説くなど、言葉や理論のみによって道徳や宗教の根拠を示すことはできない。道徳や宗教の根拠は、その根源的な体験にふれさせることがなによりも大切である。
 これは、特定の宗教や教義を越えた「霊性」の体験的な教育といえよう。人間が「たましい」を持った存在であることに基づき、全人格的な教育が、今こそ求められているのである。こうした全人格的な教育を行うためには、知識や理論を注入するだけではなく、「たましい」のレベルにおける「覚醒」をうながすことが必要であり、そのためには音楽や美術、文芸、演劇などによる深い感動を伴う実践的な体験も含めた教育が行われなければならない。この点においては、ルドルフ・シュタイナーの教育理論から学ぶところは大きいのである。
 そして、なによりも日本の伝統的な文化は、知性や理論よりも、感性や直感が重んじられる性格を持っている。このことは特に、芸道、芸能や武道の教育において指摘できるであろう。このことは、剣や茶の湯、能、詩歌などにおいて端的に指摘できるのである。身体のレベルにおける体験に基づいた直感、それはさらには、霊性に導かれる。
 そして日本人の宗教意識は自然との一体性の中で美をとらえて、それを様々な形に表現してきた。「わび」や「さび」はその典型であり、西行や芭蕉はその代表といえる。美意識とモラル、その実存的なあり方の中に宗教意識は存在する。
 21世紀においては、人類が自然や宇宙を支配するのではなく、自然や宇宙の法則に従う文明への方向転換をはからなければならないが、そのためにはこのような日本人が永く保ってきた霊性に再び目覚め、それに根ざした教育を行うことは、新しいモラルを構築する上で大きな意味を持っている。
10:30 専門道場における禅修行が行動特性に与える影響について――禅修行の心理学的研究とその可能性について:松竹寛幸(花園大学国際禅学研究所)
【 目的 】日本の禅は人間性心理学やトランスパーソナル心理学に影響を与えたが、禅はそれらの研究者によって、本来の姿からはかなり離れた解釈がなされている感がある。それでは、禅の本来の姿とは、その現状は如何なるものであろうか。日本の禅の根幹をなしているのは、禅僧を養成する専門道場の修行であろう。しかし、今までは宗教的な制約からか、その修行生活の内容はそれほど知られてこなかった。ましてや、専門道場の修行者( 雲水 )の行動特性を実験的に測定した研究など皆無である。そこで、本研究では専門道場の禅修行が雲水の行動特性にどのように影響しているかを心理学的に検討する。
【 方法 】被験者は、平林寺専門道場の1年未満~5年の修行歴を持つ19歳~32歳までの雲水20名。平成16年4月~8月までの約4ヶ月の間、計6回にわたって行動特性を測定した。質問紙は宗像(1999)の、特性不安尺度、自己価値感尺度、自己抑制尺度、対人依存尺度、問題解決尺度を使用した。
【 結果と考察 】特性不安はかなり高い。これは、老師の室内への参禅や作務などで心身両面にわたり、雲水を徹底的に追い詰めてゆく修行方法の特徴を示すものであろう。また、自己価値感はやや低く、自己を否定することによって己事(自分)を究明するという、禅修行のもう一つの特徴的な傾向を示唆するものであった。対人依存はやや強く、以心伝心を重んじる教義上の影響とも考えられる。自己抑制、問題解決に関しては特徴的な傾向は見られなかった。今後は、禅修行によってどのように禅的人格が開発されてゆくのか、そのプロセスや構成要因を検討すること。また、専門道場の禅的教育を一般社会へと還元するためのプログラムを策定し、その効果を実験的に研究してゆきたい。
11:00~11:15 休憩
11:15 公案から見た禅と心理療法:塚崎直樹(つかさき医院)
 
発表者が公案に取り組んで来た10年間の経験をふまえて、禅と心理療法の関連について考察を加えてみた。心理療法は訴えの解消や、訴えの基盤となる対処行動の変化を目指すものだとすると、禅の求めるものは、今、ここに生ききるということである。
 参禅と心理療法の場は、言語を媒介にして、二人の人間が向き合う、秘密の場という点では似た面もあるが、求めているものが違う。そして、そこで使われている言葉も、人間関係も意味が違うのである。禅で用いられる公案は、禅体験を深める道具のようなものである。公案は参禅という修行の場で、初めて意味を持ち、その真価を発揮するものである。その背景抜きに、言葉だけを取り上げることは、誤解を生んでしまうだろう。
 公案修行によって得られるものは、人間の深い自然治癒力、自己治癒力への頷き、その肯定であろう。しかし、それは治療者の自己覚知の意味を持つとしても、そのままの形で、治療の場へもたらすことのできるものではない。また、治療者の自己覚知の決定的で、唯一の方法というわけでもない。
 禅と心理療法を比較することの意味は、心を探究すること、心に変化を与えることには、色々な着眼点があり、方法の工夫と歴史があることを確認することにあると思える。違った方法から安易に一部を取り込むのではなく、それぞれの違いに気づくことから、それぞれ方法の意味を発見し、特性を伸ばしていくことが重要なのではないだろうかと考える。
11:45 座禅のトレーニングが抑うつとメタ認知的知覚に及ぼす影響:伊藤義徳(早稲田大学人間科学部)
 
本研究の目的は、座禅のトレーニングが、大学生の抑うつ傾向と、その改善のメカニズムの根幹をなすと考えられるメタ認知的知覚に及ぼす影響について実験的に検討することであった。TeasdaleJ.Dによれば、繰り返し抑うつ状態を生じる個人は、軽微な抑うつ気分をうつ病の閾にまで悪化させてしまう特異的な情報処理メカニズムをもっている。こうした処理をもっている個人が心理療法等により改善するためには、メタ認知的知覚という自己に対する知覚を養う必要があることが指摘されている(Segal, Teasdale, & Williams, 2001)。メタ認知的知覚とは、自分自身に生じるネガティブな認知的、感情的経験を、事実や真実ではなく、単なる心の中を過ぎゆく心象風景にすぎない、と距離を置いて知覚することであり、自分自身を脱中心的に捉える視点である。Teasdaleらは一連の研究において、うつ病に対する認知療法の効果は、メタ認知的知覚の獲得によりもたらされることを実験的に示している。
 近年注目されているマインドフルネストレーニングと呼ばれる一連の技法は、このメタ認知的知覚をより効率的に獲得することを目的としている。マインドフルネスとは、今ここの経験に評価することなく注意を向けることと定義され(Kabat-Zin,1994)、行動療法、認知行動療法に続く第三の波として多くの実証的研究が積み重ねられている。座禅は、数あるマインドフルネストレーニングにおいて、中核的技法として取り入れられているほか、呼吸に注意を向けながら自分の志向に注意を向けるその方法は、原理的にもマインドフルネスの定義と合致するのである。
22名の大学生を、座禅を行う訓練群と統制群に振り分けた。座禅は、2週間の間に合計10回行ってもらい、そのうち3回は実験室にて集団で、それ以外は自宅にて個人的に行ってもらった。プリアセスメント終了後、縁起の理法、抑うつの仕組みに関する心理教育を行った上で、座禅の方法を指導し、20分間の座禅を行った。2週間の訓練直後のポストアセスメント、1ヶ月後及び6ヶ月後のフォローアップの測定を行った。各測定時期において、ベック抑うつ尺度、反すう尺度、ボディアウェアネス尺度などの指標を測定した。また、プリアセスメント及び1ヶ月フォローアップ段階において、メタ認知的知覚の測定を行った。その結果、2週間の座禅訓練は、抑うつを低減させ、反すうを低減させ、身体に対する知覚を変容させることが示された。さらに、メタ認知的知覚が、健常群のレベルまで低減することが示された。本研究の知見は、座禅の効果を情報処理理論の観点から実証的に検討した点で意義あるものと考えられる。
12:15 瞑想法における実証主義的アプローチの再検討:芝原祥三(阿久根市民病院)
 
サイコセラピーの世界で瞑想が再評価されてきていることは明らかである。特に今まで瞑想にほとんど関わりを持たなかったEvidence-Basedの立場にある研究者たちから瞑想の有用性を示す結果が次々と出されていることは注目に値する。
これらの研究においては瞑想「法」というメソッドとして瞑想を捉えることを重視しており、瞑想法を心身のリラクゼーションと否定的な認知の変容を促進する為のテクニックの一つとして捉えることに主眼を置いている。これは従来の対話型の一対一の心理療法ではなく、自己解決の方向をナビゲートしていくポストモダンの心理療法と志向を同じにしている。また、瞑想体験を瞑想の基盤となっている宗教的理論と照らし合わせることを重視せず、科学的な検証方法を取ることで実証的、実用的な根拠を得ようとしている。
発表者は元々論じられてきた瞑想の持つSpiritual-Basedな面を軽視しているわけではない。サイコセラピーの過程を検討する際の個人差として、各人が事象を捉える際の観点の違いが要因になる事があるが、瞑想法を通じて体験されるトランスパーソナルな事象を理解する上で瞑想の臨床的な効果研究が補完するようになればより有益ではないだろうか。今回の発表では心理学・精神療法における瞑想法と仏教に関する最近のいくつかの研究を紹介し、瞑想法とサイコセラピーの関連をよりホリスティックに捉えていくために何が必要とされているのかについて検討を加えたい。
12:45~ 会員総会
午後2:00~4;30 シンポジウム「社会とつながるZEN・瞑想」
ポール・レジー先生(カリフォルニア統合学研究所博士)・安永祖堂先生(花園大学教授)・安藤治先生(花園大学教授)
□ポール・レジー先生・講演抄録
1960年代以来アメリカでは確実に仏教心理学への興味が増大しています。アメリカの心理学者たちは、従来の古い心理学(一般的に精神分析や実験・行動主義心理学としてグループ化できるもの)の限界を次第に強く認識するようになっており、人間性や精神性(霊性)を強調する心理学により大きな関心を寄せるようになってきました。これらの心理学は、人間性心理学とトランスパーソナル心理学としてグループ化することが出来ます。
特にトランスパーソナル心理学においては、西洋以外の心理学の発展に重点が置かれています。古い心理学は西洋的な考えに基づいていたという認識があり、この考えは、西洋以外の文化に応用する場合だけでなく、西洋文化において西洋人を理解する場合においても限界があります。世界の諸文化が人間に対して心理学的に異なった見方を持っているという認識によって、文化横断的心理学が発展してきましたが、トランスパーソナル心理学は、文化横断的心理学の精神的・霊的な側面を強調してきており、異なった宗教や精神的・霊的な経験が人間の心の異なった側面を表すことに焦点を向けています。この心理学は、心理学を世界の様々な文化において役立たせることや、文化に関係なくそれぞれの人の理解を広げることに目的が置かれています。
アメリカのトランスパーソナル心理学においては、禅仏教の心理学に対して多大な興味が寄せられてきました。どのような宗教でも、その基礎をなしている暗黙の心理学が存在しています。日本の宗教としての禅は、多くの意味において西洋心理学とは全く違う心理学を暗に表現しています。アメリカでは、この禅の心理学を研究し有効に活用することに大きな関心が持たれてきました。
この講義では、アメリカにおける禅の心理学への関心の高まりを説明することから始めます。今まで説明したことをより広げて説明し、禅の心理学がトランスパーソナル心理学に寄与する可能性について話し合います。アメリカで発達したトランスパーソナル心理学との類似性と相違性、そして禅の心理学が指し示すユニークな理論について話し合います。最後に、禅に基づいた特別な臨床方法が話し合われ、その使い方が吟味されます。Pawle博士は、彼の臨床経験を用いて、日本人ではないクライエントに使った禅仏教にもとづいた技術の有効さを発表します。
Summary
Since the 1960s there has been a steadily increasing interest in Buddhist psychology in America. Increasingly American psychologists have realized the limitations of the older psychologies, which can be generally grouped as psychoanalytic psychology and behavioral-experimental psychology, and have become more interested in psychologies that emphasize the human and spiritual aspects of a person. These psychologies can be generally grouped as humanistic psychology and transpersonal psychology.
Within transpersonal psychology in particular there has been an emphasis on developing non-Western psychologies. There has been the recognition that the older psychologies were Western-centric. As such they are both limited in their applicability to non-Western cultures and limited in only understanding Westerners from a Western perspective. Cross-cultural psychology has grown in part due to the recognition that each culture psychologically embodies different aspects of what it is to be a human being. Transpersonal psychology has emphasized the spiritual aspects of cross-cultural psychology. The focus has been on how different religions and spiritual experiences manifest different aspects of the human psyche. The purpose is to make psychology more useful to more diverse cultures and to broaden the understanding of each human being regardless of what culture they are from.
Within transpersonal psychology in America there has been a great interest on the psychology of Zen Buddhist. Every religion has an implicit psychology upon which it is based. Zen, as a religion of Japan, implicitly expresses a psychology that is very different in many ways from many Western psychologies. In America there has been great interest in studying and utilizing this psychology of Zen.
This talk will begin by describing the interest in the psychology of Zen in America. It will expand on what has just been described here. Then it will discuss the possibilities that a psychology of Zen can offer to transpersonal psychology. The similarities and the divergences with transpersonal psychology as it has developed in America will be discussed. Next will be discussed some of the unique theories that a psychology of Zen points to. Specifically within this context it will be discussed the importance of developing non-Western centric psychologies. Finally specific clinical tools based on Zen will be discussed and their use in clinical work will be examined. The speaker, drawing on his clinical experience, will demonstrate the usefulness of Zen Buddhist-based techniques in working with non-Japanese clients.
レジー・ポール先生 Reggie Pawle, Ph.D. プロフィール Reginald Pawle、心理療法士(カリフォルニア(米国)免許#MFC35774)。博士過程では西洋と東洋の分流について学び、その後も異文化心理学について研究を深めました。1974年仏教〔禅宗〕に出会いそれ以来修行を続けています。1999年より花園大学国際禅学研究所に客員研究員として所属。同時に日本に滞在する外国人を対象にしたカウンセリングルームを開業し、トランスパーソナル、ゲシュタルト、身体的、仏教の心理学を統合した治療を行っています。
Reginald Pawle is a licensed American Marriage and Family Therapist (California license #MFC 35774) and has a Ph.D. in East-West Psychology. He also has been a Zen Buddhist practitioner since 1974 and is very interested in cross-cultural psychological dialogue. Since 1999 he has been in Japan as a visiting researcher at the International Research Institute for Zen Buddhism, Hanazono University, and a psychotherapist working with foreigners living in Japan. In his clinical work he integrates transpersonal, somatic, Gestalt, and Buddhist psychologies.
□安永祖堂先生・講演抄録
<合一と同一と不一>
 鈴木大拙は、キリスト教を象徴するのはワインであり、禅を象徴するのは茶であると言った。まさにキリスト者はミサにあってワインを飲んで神に酔い、禅者は禅院にあって茶を飲んで仏に覚めるのであろう。
 宗教には神秘主義の流れが地下水のごとく伏流していると言われる。ただしウニオ・ミスティカはそれぞれ異なった形態をとるとも言えよう。合一体験にあっては「神とひとつになった」と信じるに違いない。同一体験にあっては「仏とひとつであった」と悟るのかもしれない。
 禅僧白隠は、人間と仏の関係を氷と水に例えた。迷えば凡夫、悟れば仏。水は氷となり、氷は水にもなる。ゆえに合一でもなければ同一でもない。それは不一であり、さらには不二でもある。
 神と人間の関係が油と水のような、キリスト教文化圏の思考スタイルに慣れた人々には理解しがたいであろう。両者には接点はあっても融点はない。
「酒にそそいだ水のように  
寄りそうて一つに溶けた我と汝」
 ハッラージの歌うフルール(融けこみ)も抒情的にすぎない。厳密に考えれば、酒(アルコール)と水は互いにあくまで別物の分子なのだから。
 一九九四年、大江健三郎がストックホルムでの講演にタイトルとして語りかけた「あいまいな日本の私」(Japan, the Ambiguous, and Myself)を問い直したい。「あいまい」はvagueではなく、ambiguousなのである。Ambidextrousでありambivalentである接頭辞、ambi(両方の)である。どちらでもあり、どちらでもない。不一不二は日本的思考の水底に沈殿するものではなかったか。
 「酒を飲んだら酔わねばならぬ、酒に酔ったら醒めねばならぬ」大象窟老師の言であったはずである。「東西霊性交流プログラム」ではカトリックの修道士たちにはそのように問いかけているつもりだ。しかし、むしろ西欧的二元論にすっかり中毒症状を呈している日本の人たちにこそ、禅という茶が薬効を発揮するのではなかろうか。
安永祖堂先生プロフィール 1956年、愛媛県に生まれる。花園大学卒業後、京都天龍寺専門道場に入門。現管長平田精耕老大師の下で入室参禅。現在、天龍寺国際禅堂師家。花園大学教授。著書に『私が生きて掴んで実践したもの』(宗教心理出版)、『傍訳碧巖録』、『訳注興禪護國論』(ともに四季社)、『禅ぜんZEN』(禅文化研究所)
□安藤治先生・講演抄録
 米国で発展してきたトランスパーソナル心理学/精神医学は、日本の禅あるいはZEN への熱い眼差しを基盤に持って成熟してきた学問でもある。鈴木大拙博士の学問的紹介に加え、わが国の多くの御老師によって種を蒔かれた苗木は、異国の地の心理学という土壌でユニークな若木となり、世界各地で瑞々しい枝葉を繁らせる時代を迎えている。
 その溌剌と背を伸ばした若木がいま、わが国の老成した大木に出会おうとしている。禅は、若きZENの議論にどう応えて下さるだろうか。「自己実現」「自己超越」は、「己事究明」「不立文字」の伝統に出会えるのだろうか。
 学際的交流が求められる時代とは言え、心理学・精神医学と、禅学・仏教学との間に横たわる溝は依然として深い。その狭間に足を踏み入れた人間として、今回のシンポジウムでは橋渡しの役目ができるよう精一杯の努力をしたいと考えている。
わが国でトランスパーソナル心理学と禅が出会うのは、歴史的出来事であると言っても決して過言ではない。トランスパーソナルの精神(スピリッツ)は、長い間この時を待ち望んできた。この出会いに立会える光栄に礼を尽くしたい。この出会いは、今後のわが国の精神文化の行く末にも、大きな可能性を開く機会(チャンス)になるものと信じる。当日の両者の出会いを見守り、力を与えて下さる多くの方々のご参加を心より願っている。
安藤治先生プロフィール 花園大学教授。精神科医(医学博士)。東京医科大学精神神経科講師、カリフォルニア大学アーヴァイン校客員准教授等を経て現職。立命館大学大学院兼務講師, 花園大学国際禅学研究機構運営委員, 日本トランスパーソナル心理学/精神医学会代表。著書に『心理療法としての仏教』(法藏館), 『瞑想の精神医学』(春秋社), 『ユング心理学と現代の危機』(共著・河出書房新社), 『トランスパーソナル学1』(編著・雲母書房)ほか。訳書に『シャーマニズムの精神人類学(ウォルシュ)』(春秋社), 『魂の危機を超えて(グロフ)』(春秋社), 『自我と力動的基盤(ウォシュバーン)』(雲母書房), 『瞑想とユング心理学(オダージンク)』(創元社), 『テキスト/ トランスパーソナル心理学・精神医学(スコットンほか編)』(日本評論社)(いずれも共訳)ほか。
E-mail: jatp@mail.goo.ne.jp  FAX:075-881-5085 学会HP: http://wwwsoc.nii.ac.jp/jatp
第6回学術大会・大会長:林信明(花園大学社会福祉学部長)協力:花園大学宗教部,国際禅学研究機構,企画広報室